第一話:静寂を裂く一閃、古都の闇
一. 霊符の残滓と、消えない言葉
夜が明け、都に差し込む朝日は、前夜の凄惨な戦いの跡を白日の下に晒していた。白石 耀(しらいし の あかり)は、陰陽寮の清らかな畳の上で、微動だにせず座禅を組んでいた。彼女の周りには、霊力を浄化するための香が焚かれているが、心の中の濁りを洗い流すには至らない。
(…理に基づいた裁きは、ただの欺瞞だ。都の深き闇が穢れを隠し、自らを肥え太らせるための道具に過ぎない)
黒崎 夜音の、憎悪に満ちた言葉が、耳の奥で反響し続けていた。耀は目を閉じ、霊力を内観する。彼女の純白の霊力は、かつてないほど清明であるべきなのに、その深淵に微かな**「歪み」が生じているのを感じていた。それは、夜音の呪詛でも、昨夜の穢れでもない。彼女自身の「迷い」**から生じた、最も始末に負えない霊力の乱れだった。
「姉様、まだお休みにならないのですか」
妹の咲耶(さくや)が、心配そうに声をかけた。彼女の瞳は、隈が消えない姉の顔を見つめている。
「問題ありません、咲耶。霊力の波長を安定させているだけです」
耀はそう答えたが、嘘だ。彼女が真に安定させたいのは、霊力ではなく、夜音が突きつけた**「真実の可能性」によって崩壊しかけている、自身の「理(ことわり)」**そのものだった。
咲耶は、昨夜発見した石畳の破片を握りしめていた。
「阿闍梨様は、無色の霊力の件を深く詮索する必要はないとおっしゃいました。でも…あの冷気は、黒の霊力よりもずっと恐ろしかった。姉様の『裁き』も、一瞬、弾かれていた」
耀は静かに目を開けた。
「朝廷の理は、都の平穏を保つために、不確かな情報を切り捨てることを是とする。阿闍梨様の判断は、理にかなっている」
しかし、耀の心は叫んでいた。理にかなった行動が、夜音の悲劇を生み、さらに巨大な闇を助長しているのではないか、と。
(私の裁きは、本当に、誰の道具にもなっていないのか?)
二. 水鏡の監察官
その昼下がり、陰陽寮の敷地内に、不釣り合いなほど冷たい空気が流れ込んだ。
耀が日常業務をこなしていると、一人の若者が、護衛の陰陽師たちの制止を振り切り、耀の目の前に現れた。
男は、天海 葵(あまみ の あおい)。御所付きの陰陽師の中でも特に異彩を放つ、青チームのリーダーだ。葵は、水のように冷たい青い狩衣を纏い、その瞳は、すべてを見透かし、すべてを計算し尽くしたかのような、絶対的な知性を帯びていた。
「お忙しいところ申し訳ありません、白石殿」
葵の声は穏やかだが、その背後には、彼のパートナーである蒼井 凛(あおい りん)が控えていた。凛は、感情を持たないとされる霊力駆動の**機巧(からくり)**であり、その青い装甲が、周囲の空気を更に凍てつかせている。
「天海殿。許可なく私の私室に立ち入るとは。貴殿の行動は理に反します」耀は霊符に手をかけ、警戒心を露わにした。
葵は嘲笑もせず、ただ淡々と告げた。
「理に反しているのは、貴殿の純白の裁きです、白石殿。昨夜の黒崎夜音の襲撃、奪われた呪術実験の木簡、そして…阿闍梨殿による無色の霊力の隠蔽」
耀は息を呑んだ。阿闍梨との会話は、ごく少数の者しか知らない。
「どこからその情報を」
「水鏡は、すべてを見ます。特に、貴殿のような清明すぎる光の動きは、水面ではっきりと映る」葵は言った。「私の能力は、超精密な呪術と情報統制。貴殿の行動、夜音の動向、そして朝廷のすべての秘密を、私の水鏡は記録しています」
葵は、掌に水の霊力を集め、小さな水鏡を作り出した。その水面には、夜音が奪い去った木簡の詳細な図と、その木簡が指し示す**「都の外れにある禁忌の地下施設」**の地図が映し出された。
「その木簡は、夜音が過去の復讐のために必要だと信じているものですが…本質は、夜音の里を滅ぼした禁忌の実験に関する記録です」
三. 白銀の光の盲点
葵は淡々と、耀の盲点を突いていく。
「夜音は、貴殿の裁きによって里を滅ぼされました。しかし、里が禁忌指定されたのは、彼らの里の持つ黒の霊力が、特定の条件下で無色の霊力を活性化させる鍵となるためです」
「何…?」
「貴殿の裁きは、朝廷の理を守るための道具でした。そして、夜音の里が滅ぼされたことで、黒幕は**『黒の怨念』という、最も純度の高いエネルギー源を手に入れた。…夜音は、その怨念を力に変え、自ら無色の餌**となっていることに気づいていません」
耀は、全身の血が冷えるのを感じた。夜音の言葉、「道具」という響きが、今、葵の冷徹な分析によって、冷徹な真実として形を成していた。
「貴殿の純白の裁きは、都を守る光であると信じている。だが、その光は、真実を何も照らしてはいない」葵はまっすぐ耀の目を見つめた。「貴殿の絶対的な理こそが、黒幕にとって最も扱いやすい隠蔽の結界なのです」
「…黒幕とは、誰ですか」耀は、絞り出すような声で尋ねた。
「黒幕は、光と闇、両方にいる」
葵は水鏡を消し、静かに告げた。
「黒崎夜音を追っているのは、我々青チームだけではありません。そして、貴殿が信頼している陰陽寮の上層部にも、無色の存在の手先がいる。阿闍梨殿が無色の霊力を詮索するなと命じたのは、証拠を隠滅するためでしょう」
四. 飛翔の霊糸と、揺るぎない意志
耀は怒りではない、静かなる激情に突き動かされた。彼女は、自らの信念を弄ばれたこと、そして妹の咲耶の安全が脅かされていることに、激しい憤りを感じた。
耀は反射的に霊力を集中させ、葵の喉元に「精密一撃」の霊符を放とうとする。
その瞬間、葵の背後にいた蒼井 凛が、静かに動いた。
凛の指先から、目に見えないほど細い、青い霊力の糸が放たれた。それは、耀が霊符を放つまでのコンマ数秒の動作を完璧に予測し、耀の右腕の関節と、狩衣の袖を繋ぐように張り巡らされた。
耀は霊符を放つ直前に、全身に張り付いた霊糸の存在を感知する。もし無理に動かせば、霊糸は霊力そのものを拘束し、呪術回路を破壊するだろう。
「…機巧(からくり)の霊糸」耀は驚愕した。これほどの精密な霊力制御は、人の手では不可能だ。
「無駄です、白石殿」葵は涼しい顔で言った。「私のパートナー、蒼井 凛は、感情を持たない完全な補佐。貴殿の攻撃パターンは、既に千回以上シミュレート済みです」
葵は霊糸を解き放ち、耀から一歩距離を取った。
「私は、貴殿に戦いを挑んでいるのではありません。情報を提供しているのです。真実を追求するならば、貴殿は朝廷の理を捨て、私と協力すべきだ」
耀は霊力の糸が離れた腕を握りしめ、葵の顔を見据えた。彼の提案は、彼女のすべてを否定するものだ。しかし、彼が提示した情報の正確さと、夜音の悲劇が結びついたとき、彼女の心は既に「理」から「意志」へと傾いていた。
「…分かりました。天海殿」耀は冷たく、しかし明確に言った。「貴殿が示した真実が、私の裁きを否定するならば、私はその真実の根源を断ち切る。…ただし、貴殿に協力するわけではない」
耀は、昨夜の「無色の霊力」の残滓を、霊力で再び感じ取った。
「私は、無色の存在を追う。貴殿の情報は受け取ろう。だが、私が信じるのは、私の意志だけだ」
葵は満足そうに微笑んだ。
「結構です。私にとって、貴殿の純白の力が、都の闇を暴く楔となればそれでいい」
葵と凛は、水のように静かに立ち去った。残されたのは、耀と咲耶。そして、夜音の呪詛と葵の警告が入り混じった、古都の深き闇の予感だった。


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