ソラの罪歌(つみうた):裏切られた革命と二つの命の箱舟
第二話 善意の皮肉:処刑台に届いた閃光
1. 檻の中の訪問者
暗く冷たい独房に、再び鉄の扉が開く音が響いた。夜明け前のまだ冷え切った空気の中、リディアスはうずくまったまま、最後の時を待っていた。
入ってきたのは看守ではなかった。メルキア人の警備兵に付き添われ、一人の少女が立っていた。
白い肌、透き通るような瞳。アルマとは違う、穏やかで柔らかな雰囲気を持っていた。身につけているのは、帝都でも最上級の素材で作られたと思しき、光沢のある衣服だ。
リディアスは彼女が誰であるかを知らない。ただ、彼女が支配者の一族であることだけは理解していた。
少女は警備兵に無言で何かを差し出した。警備兵は戸惑いながらもそれを受け取り、独房の隅に置いた。それは、焼きたてのパンと、ガラス瓶に入った水だった。
「ごめんなさい」
少女が静かに言った。その声は、独房の冷たさとは無縁の、暖かさを持っていた。
リディアスは顔を上げず、彼女を睨んだ。
「何が、だ」
「私が、あなたの処刑を命じたわけではないけれど……。昨日、母上があなたを罰したのを見て、とても悲しくなった。あなたはただ、私たちを見ただけなのに」
「母上?」
リディアスは初めて少女の顔をはっきりと見た。彼女こそが、最高指導者アルマの娘、エル・マリアだった。
「あなたは……アルマの娘か」
憎悪が、彼の体内で沸騰する。昨日、彼を処刑台送りにした独裁者の娘が、今、彼に「善意」を差し出している。
エル・マリアは、リディアスの憎悪の眼差しに怯むことなく、続けた。
「あなたはきっと、お腹が空いているでしょう。これを食べて。せめて、安らかに……」
彼女は独房の鍵穴から手を伸ばし、リディアスの手元に小さな紙袋を滑り込ませた。中には、砂糖でコーティングされた、小さな焼き菓子が入っていた。
「これも、私のお小遣いで買ったもの。誰にも見つからないように、食べてね」
彼女はそう言い残すと、警備兵に促され、足早に去っていった。
リディアスは紙袋を握りしめた。7年前、まだ幼かった彼が、故郷を失い、奴隷としてR区に来た直後。あまりに空腹で、帝都のゴミ箱を漁っていた時、彼は警備兵に見つかり、激しく殴打された。その時、彼がゴミ箱から手にしていたのが、メルキア人の子供が食べ残したお菓子の袋だった。
彼にとって、メルキア人の「お菓子」は、屈辱と暴力の象徴だ。
だが、この少女の行為は、彼が抱く絶対的な憎悪の構造を、ほんの僅かだが揺さぶった。彼は結局、パンと水を飲み干した。しかし、お菓子だけは、ポケットに押し込んだ。復讐を遂げるまで、この「善意」の皮肉を忘れないための、冷たいお守りとして。
2. 公開処刑の広場
夜が明け、リディアスは広場へと連行された。
帝都の中心にある石畳の広場は、既に数千人のメルキア人で埋め尽くされていた。彼らは皆、自分たちの支配の揺るぎなさを確認するために、この見世物に熱狂している。
処刑台の上には、既に三本の絞首台が設置されていた。
メルキア人の看守長が、拡声器で高らかに読み上げた。
「本日、国家の尊厳を汚し、指導者アルマ様の威厳を冒涜した原人類の残滓、R区所属の労働者たちを処刑する!」
最初に連れてこられたのは、リディアスが最も尊敬していた、R区の**「親方」**だった。彼は痩せ衰えていたが、その瞳は最後までメルキア人たちへの蔑みを失っていなかった。
「貴様ら……新たな独裁者に飼われた豚どもめ! いずれ、この地は再び我らのものとなる!」
親方の言葉は、歓声と怒号にかき消された。絞首台の扉が開き、親方の体は虚しく空中で揺れた。
続いて、リディアスが知る顔が次々と処刑されていく。かつて共に汗を流した少年たち。彼らの声も、抵抗も、広場の熱狂によって瞬時に飲み込まれた。リディアスは、この理不尽な死の連鎖を、全身の細胞に焼き付けた。
そして、いよいよ看守長が彼の番号を読み上げる。
「最後だ! 指導者アルマ様に直接反抗した、NO.R3772番! 前へ!」
リディアスは、警備兵に引きずられながら階段を上った。首に縄がかけられ、足元の扉に立たされた瞬間、彼はメルキア人たちを見下ろした。その中に、アルマと、そしてその隣に立つエル・マリアの姿が見えた。
「アルマ……覚えておけ。俺は、貴様を、必ず……」
リディアスは最後の力を振り絞り、呪詛を吐き出そうとした。
看守長が高々と手を振り上げる。
「執行!」
3. 閃光とテロリストの誕生
その瞬間、世界は沈黙した。
ドォォォン!
広場の片隅、警備棟の壁が、凄まじい轟音と共に爆砕した。閃光と砂塵が空を舞い、メルキア人たちの歓声は一瞬にして悲鳴へと変わった。
テロだ。
リディアスの思考が、この混沌の中で最も明確に機能した。彼を処刑しようとしていた看守長は、爆風で吹き飛ばされ、絞首台は大きく揺れた。
「R3772番! 飛び降りろ!」
砂塵の中から、ガスマスクと黒い戦闘服をまとった数人の人影が飛び出してきた。彼らは銃を乱射し、警備兵たちを薙ぎ倒していく。
リディアスは、反射的に縄から首を抜き、揺れる台から飛び降りた。彼はテロリストの一人に腕を掴まれ、広場の混乱の渦へと引きずり込まれた。
「テロリストどもだ! 追え!」
警備兵たちの怒号が響く中、リディアスは地下水路へと続くマンホールの蓋の下に押し込まれた。
「君はラッキーだ、少年。ゼニス様が君を救えと命じられた。君は我らの希望だ!」
テロリストの一人がそう告げた。リディアスは、自分の命が、憎むべきメルキア人ではなく、この闇の中で活動するゲリラ組織によって救われたことを悟った。
4. 復讐への誓い
地下の隠れ家は、帝都の廃墟のさらに下、旧文明の地下水道網に築かれていた。
リディアスの前に立ったのは、屈強な体躯を持つ男、ゼニスだった。彼はゲリラ組織のリーダーであり、リディアスを救出する作戦を指揮した人物だ。
「ようこそ、リディアス・ソラ。お前は今日、奴隷の記号を捨てた。我々は、奴隷だった者たちが持つ、最も古い名前でお前を呼ぶ。お前の名は、リディアス・ソラだ」
「なぜ、俺を救った?」リディアスは掠れた声で尋ねた。
ゼニスは鋭い目でリディアスを見つめた。
「お前は指導者アルマを直視した。その行為は、支配者への最も純粋な反抗の証だ。我々には、その炎が必要だ」
ゼニスは、壁に張られた一枚の紙切れを指さした。それは、広場の公開処刑リストの写しだった。
「処刑は続行された。我々が爆破した時には、既にお前以外の全員が……絞首台で死んでいた」
リディアスは、全身の血が凍りつくのを感じた。
親方も、仲間たちも、処刑を待っていたリディアスが救われた瞬間には、もうこの世にいなかった。エル・マリアの善意も、テロの閃光も、彼らの命を救うことはできなかった。
リディアスが救われたのは、彼一人の命だけ。この理不尽な事実は、彼の心にあった微かな葛藤や動揺を、一瞬にして消し去った。彼に残されたのは、純粋で、鋼鉄のように硬い復讐の炎だけだった。
「……分かった」
リディアスは立ち上がった。全身の痛みなど、もうどうでもよかった。彼はポケットから、エル・マリアがくれた焼き菓子を取り出し、無言で踏み潰した。
「俺は、お前たちと共に戦う。俺の人生は、アルマを、そしてメルキア人の支配を、この世界から消し去るために存在する」
「それでこそ、リディアス・ソラだ!」ゼニスは喜びの声を上げた。
こうして、NO.R3772番は死に、復讐を誓うテロリスト、リディアス・ソラが、メルキア人国家への血塗られた戦いに身を投じることになった。
次話予告: 憎悪を胸にゲリラの一員となったリディアス。彼が次に目にするのは、メルキア人国家の恐るべき秘密と、旧文明の知識にまつわる謎めいた指導者カノンとの出会いだった……


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